全身麻酔中の投薬上の過失が問題となった事案
仙台地方裁判所平成12年4月13日判決(WestlawJapan)
【事案の概要】
定期検診の聴力検査の結果、右耳が聴こえにくく、精密検査を受けた結果、聴神経腫瘍(良性)と判明した(聴力検査以外に異常はなかった)。
聴神経腫瘍に対する経迷路的腫瘍摘出術において、全身麻酔処置を実施後、患者が頻脈になり、ベラパミル投与し、体動への対処としてマスキュラックスを点滴全開にして投与し、患者の心拍数が上昇したため、残りのベラパミルを投与した。
直後、患者は急性心血管虚脱となって、極端な徐脈と血圧低下状態(本件循環不全)が発生し、心拍数はその後に回復したものの意識は戻らず自発呼吸もなく、不可逆的脳障害が残った。
【争点】
①本件障害の発生原因
②責任原因の有無(投薬上の過失)
③損害額
【判決の内容】
①本件障害の発生原因について
「ベラパミルは・・副作用として、房室ブロックや低血圧等の心血管虚脱が突如発生したという報告が多くなされていた上、右のような副作用をきたす危険性があることが広く知られている薬剤であった。」「プロスタグランジンE1が血圧下降剤であることから、本件での併用は、正しく右のような危険があった。」
「本件体動が始まった直後である10時46,7分ころ、イソフルラン及びプロスタグランジンE1の併用中にベラパミルを投与したことから、遅くとも10時58分過ぎには急性心血管虚脱となり、以後約7分間以上に亘り、本件循環不全を発生、継続させられ、その間、脳灌流正常に維持されなかったことから、低酸素脳症となり、本件障害を負ったと認められる。」
「ベラパミルの投与以外の本件循環不全の原因や本件循環不全以外の本件障害の原因は、本件全証拠によっても、これを窺うことはできない。」
②責任原因の有無(投薬上の過失)
「対処療法としてのベラパミル投与以外の処置が十分可能であり」「副作用である房室ブロックや著しい血圧低下等を誘発する危険があることを当然予見することができたにもかかわらず、安易に洞性頻脈に対する対処療法であるベラパミルの投与を選択して、これを基本輸液やプロスタグランジンE1と同一経路から注入したと認められる。」
「麻酔科医の麻酔管理に関する裁量は、術前に不測の現象に対する対処につき、インフォームドコンセントを実施して患者の同意を得るのが困難なために与えられたものに過ぎず、麻酔科医が不測の現象に対して講じた措置につき、他にも選択すべき手段があり、また、考慮すべき可能性があることから、最善の措置といえない場合には、正当な裁量の範囲内ということはできないと解するのが相当であるところ・・本件全証拠によっても、本件手術中に生じた洞性頻脈の治療として、ベラパミルの投与が他の措置に優越していたことを認めるに足りる証拠がないことに照らすと」
③損害額
「原告が、本件病院での入院看護を受けることが予定されているとしても、病院から支給されていない身の回りの消耗品の購入費等、入院雑費の多くは右逸失利益から支出されることが見込まれることからすれば、生活費を控除するのは相当ではなく」
【一言】
まず、障害の発生原因が争われている。このような争われ方は他の事件でもよくある。
患者側としては、過失の主張は想定している発生原因を前提に組み立てているものなので、発生原因(他の事件だと死因)の主張が認められなければ、過失主張の前提を欠くことになり、過失の主張は認められない結果となる。
本件では、他の原因を、全証拠によっても窺うことはできないとして、抽象論ではなく具体的根拠を伴う主張を被告に求めているとも読める内容である。
次に、責任については、医学的知見や医師意見をもとにして結論を導いている。
特徴的なのは、被告の「裁量の範囲内」との主張に対し、裁量がどういう場合に生じるか、最善の措置と言えない場合に正当な裁量の範囲内ということはできない、と判断した点である。
裁量という抽象的な言葉のまま進めるのではなく、いったい何に対して裁量が認められるのか、反対に裁量が認められない場面であることについて、具体的主張立証が必要である。